今日から卒部をした4年生からのメッセージを紹介します!
トップバッターは菅家綾美(健康スポーツ学科:福島県出身)です。
ぜひ、ご覧ください。
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ブログやインスタを見てくださっている皆様、いつも新潟医療福祉大学水泳部の応援ありがとうございます。
9月に開催されたインカレを最後に、3歳から続けてきた水泳を引退しました。
先生方、コーチ、先輩、後輩、同期、今まで水泳を通して関わってくださった沢山の方々、そして誰よりも近くで応援してくれた家族、本当にありがとうございました。
コロナ禍で始まった大学水泳。
何度も活動停止になり、海に泳ぎに行ったり、走り込みをしたり、寮の狭い部屋でドライランドをしたり、毎日工夫して過ごしていました。
1人で練習する時ほど辛いものはありません。
練習が始まっても蒸し暑いプールサイドの中でマスクをし、隣の人とは2メートル間隔空けて、無言で黙々とドライランドをする毎日。
使った道具は毎回必ず消毒し、試合の応援は手拍子のみ。1テーブル1人でみんな同じ方向を向いて黙食するスポ定。この我慢の2年間、どこの大学よりも感染対策に心がけていた自信があります。
私自身、大学水泳の4年間は苦しい事の方が多くありました。
4年間でベストを更新できたのは50m平泳ぎでたったの2回。
自分の泳ぎが分からなくなり、苦しんでた1年生。2、3年の冬季シーズンでは100m、200mともにベスト近くで泳いだものの、あと0.03秒、0.31秒、、、と毎回わずかにベストに届かず。
夏季シーズンの長水路ではベストから程遠いタイム。大好きなはずの水泳が、泳ぐたびに不安と怖さが大きくなってきて、楽しいと思えることが少なくなっている時もありました。
目標を高く持つ私ですが、いつの間にか目標が「ベスト更新」になっている自分がすごく情けなかったです。
また、今まで数々の障害に悩まされました。
インカレまで2ヶ月を切った頃、障害の発覚により注射やテーピングをして、痛み止めを飲みながら無理矢理泳いだり、思うように練習が出来ない日々も多く、最後の最後まで不安もありました。
こんなにも辛くて苦しい日々、練習をしていて何のために泳いでるのか分からなくなる時もありました。
しかし、それでも支えてくださる方々に少しでも勇気や元気を与えて恩返しをしたい、それを胸に4年間諦めずにやり切ることが出来ました。
自分の限界まで挑戦できたこと、出来なかったことが出来るようになる瞬間、みんなと目標に向かって取り組んだ事、1週間に一回のオフにみんなでご飯に行ったりサウナで長話したりしたこと。
ラストレースまでの半年間は競技人生で1番頑張ることができ、充実した楽しい時間でした。
ラストレースのインカレでは大学ベストに近い大学セカンドベストの100m。
感覚も調子も今までにないくらい良く、前半から攻めていた200M。どん底から這い上がり、今までで1番良い泳ぎでやり切れたレースでした。
アップ中、マンツーマンになってタイム取りをしてくれたマネージャーさん、指導してくださった下山先生をはじめ先生方、最後まで見守り、期待して送り出してくださりありがとうございました。
最後まで結果でチームに貢献することは出来なかったけど、スタンドにいるオレンジ色を着た仲間が私の背中を押してくれました。レース後に見たスタンドの光景は一生忘れません。
最後に家族へ。
ラストレース、家族全員で会場に応援に来てくれて私はとても幸せ者です。ありがとう。
いつもスマホとカメラの2個持ちで撮影しながら応援してくれるパパ、ビデオ撮りながら大きな声を出して応援してくれるママ。『あやみ』『NUHW』の手作りのうちわを持ちながら、いつも緑とピンクの目立つ服を着て2人で座っている姿が大好きだったよ。コロナで会場に入ることができなくても、毎週あったスイミングの記録会でも、遠い会場でも、どんな時もどこまでも応援に駆けつけてくれて、沢山サポートしてくれてありがとう。
水泳を始めるきっかけを作ってくれた兄、いつも相談に乗ってくれたり、アドバイスをくれたり、元気を与えてくれる頼もしい妹。本当は水泳観戦得意ではないのに、最後の最後に直接泳いでる姿見てくれてありがとう。
スポーツ一家の一員になれて良かった。
約19年間大好きな水泳を続けて来れて、大学水泳を経験することができて、とても幸せでした!
これからは新潟医療福祉大学水泳部OGとして応援しています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
【コーチ:奈良】