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2020.12.11

何かを残したかった4年間 ~臼井真吾~

今日はチーフマネージャーの臼井真吾(健康スポーツ学科4年:群馬県出身)からのコメントを紹介します。

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大学水泳最後の年は、みんなが思い描いていたようなものではありませんでした。

私は2020年4月のオリンピック選考会である日本選手権に帯同予定でしたが、直前までやっていた合宿中にコロナの影響で中止が決まり、行くことができませんでした。

それまで順調に強化できていた選手もいたので、悔やんでも悔やみきれない人もいたと思います。

私もサポートできる喜びを噛み締めながら帯同出来ることを楽しみにしていました。

インカレが開催されるとわかってから、マネサポが何人いけるかもわからない中でマネサポのみんなは「チーフだから」と私が行くことを認めてくれたこと、理解してくれたこと、そしてOWSの日本選手権も合わせて、私が行くことを認めてくれたことに本当に感謝しています。

しかし、コロナ対策で大学の県外移動のルールもあり、インカレとOWS日本選手権のどちらか一方にしか行けないという選択を天秤にかけなくてはならなくなりました。人生で一番悩んだと思います。

その時に馬場先生は私の給水技術、帯同経験から私にOWS日本選手権に行って欲しいと言ってくださったこともあり、私がいるべき場所はOWS日本選手権だと思い、インカレは頼れるマネサポたちに任せることにしました。

そしてOWS日本選手権に行くことを馬場先生に伝えた時に「陸の日本代表は臼井と勝ち取ったものだから」という一言は今でも鮮明に覚えていますし、この選択は間違いではなかったと思えた瞬間でした。こういったことを言える馬場先生みたいな指導者になりたいと思った瞬間でもありました。

コロナの影響でインカレもできるかわからない時からインカレ開催が決まった後も私たち4年生はどう下級生たちを引っ張っていけば良いのかたくさん悩んで、試行錯誤しました。

マネサポも常にグループ分けされ、全員そろってのサポートは出来ず、チーフマネージャーとしてどうすればマネサポもインカレに向かって同じ方向を向けるのかたくさん考えました。

その中で私がいないグループは4年生のマネサポが本当にうまく他のマネサポと選手をサポートしてくれていたと感謝しています。

インカレは例年とは違う形式での開催、シード校という立場もあり、インカレ前の9月は様々な準備に追われた1ヶ月間でした。

プールサイドで観戦したインカレは4年生を中心に優勝などでとても盛り上がったと思います。

しかし、なぜ自分はそこで同期である4年生最後のレースを見届けていないんだろうと思うこともありました。

それでも「陸の給水をして陸を日本代表に」これだけはブレずに心の中にありました。

出発の前日、台風の影響で中止という連絡。

行くはずだった今年の試合何も行けなかったという悔しさしか残りませんでした。

自然が相手のスポーツがOWSなのだということを改めて感じさせられました。

環境、周りの人に恵まれていた4年間でした。

水泳だけでなく人間としてもたくさんのことを教えてくれた下山先

OWSの魅力を教えてくれた馬場先生、陸

サポートに限界はないと教えてくれた奈良先生

切磋琢磨できて、4年間一緒にサポートできた星川、瑛斗、朱珠、菜々子

チーフマネージャーの私を支え切ってくれたマネサポの4年生

チーフマネージャーとして、マネージャーとして、常に上を見続けることを教えてくれた永輝さん

4年間自分のわがままを通してくれた親

たくさんの人に「ありがとう」を伝えたいです。

インカレ切っていないのにOWS日本代表になる同期

インカレ2連覇する同期

インカレ初優勝したと思ったら、日本記録を出す同期

インターハイ行ってなくても日本選手権を切る同期

結果だけみても最強で最高の同期だったと思います。

次は指導者として選手を新潟医療福祉大学に送り込むこと、先生方と日の丸をつけて一緒に戦うこと、日本をOWSが盛んな国にすることが今の目標です。

来年は後輩たちがシード校奪還をしてくれると信じています!

NUHW水泳部のOBであり、今もこれからもファンとして応援しています!

"日本一のマネジメント"

"新潟から世界へ!"

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【コーチ:奈良】

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